家賃滞納で少額訴訟を選ぶ前に|60万円の線と、入居者が通常裁判へ移せる点・支払督促との違い
たとえば、家賃6万円の部屋で5か月分、30万円が残ったままになっているとします。電話には出る。「来月まとめて払います」も聞き飽きた。内容証明は送ったが、反応はありません。ここで大家さんが迷うのは、「少額訴訟にするか、支払督促にするか」です。どちらも簡易裁判所で、どちらも金銭の請求だけを扱います。
結論からお伝えすると、選ぶ分かれ目は「入居者が争ってくるかどうか」と「金額・場所・費用」の3つです。少額訴訟は60万円以下で、原則1回の審理で判決が出ます(民事訴訟法368条1項・370条1項)。ただし入居者が通常の裁判へ移すと申し出れば、その時点で通常の訴訟になります(373条1項・2項)。「少額訴訟のほうが早い」は、相手が争わない場合にだけ成り立つ話です。条文は2026年10月18日時点のe-Gov法令検索で確かめました。
少額訴訟は、どんな手続きですか?
条文どおりに並べると、次の形です。
- 対象:簡易裁判所で、訴訟の目的の価額が60万円以下の金銭の支払の請求(368条1項)。滞納家賃が60万円を超えていれば、そもそも使えません
- 申し出方:少額訴訟を求める旨は、訴えを起こすときに申し述べる(368条2項)。同じ簡易裁判所でその年に何回使ったかも届け出る(368条3項)
- 回数の制限:同じ簡易裁判所で年10回まで。裁判所の案内にも「1人につき同じ裁判所に年間10回まで」と書かれています
- 審理:特別の事情がなければ、最初の期日で審理を終える(370条1項)。そのため、言い分と証拠は最初の期日までに出し切る(同条2項)。証拠は、その場ですぐ調べられるものに限る(371条)。反訴はできない(369条)
- 判決:相当でないと認める場合を除き、口頭弁論が終わったらすぐ言い渡す(374条1項)。請求が認められれば、裁判所は職権で仮執行の宣言を付ける(376条1項)
- 不服申立て:控訴はできない(377条)。判決を受け取った日から2週間以内に、同じ裁判所へ異議を出せる(378条1項)。異議が出れば通常の手続で審理し直す(379条1項)

入居者が「通常の裁判にしてほしい」と言ったら、どうなりますか?
373条1項は、被告が訴訟を通常の手続に移す旨を申し述べられると定めています。期限は、被告が最初の期日で弁論をする前までです。申述があった時点で、訴訟は通常の手続に移ります(373条2項)。理由の説明は条文に書かれていません。
つまり、入居者が「分割にしてほしい」「修繕が先だ」と争う姿勢なら、少額訴訟を選んでも、最初の期日で通常の訴訟に切り替わる可能性があります。手間は通常訴訟のぶんだけ増えます。逆に、入居者が金額を認めていて、争うつもりがなければ、最初の期日で判決まで進めます。
なお、判決で入居者の資力などを考えて、判決の日から3年を超えない範囲で支払の時期や分割払を定めることがあります(375条1項)。この定めに対しては、不服を申し立てられません(同条3項)。大家さんの側からは、満額を一括で取れる判決でも、分割になる余地があることを見込んでおく必要があります。
支払督促とは、どこが違いますか?
支払督促は、裁判所書記官が書類だけで発する手続きで、入居者の言い分は聞かずに出します(386条1項)。入居者が異議を出せば、その時点で訴訟に移ります(395条)。流れと、部屋の明渡しは求められない点は、滞納家賃の支払督促では、部屋の明渡しは求められませんに整理されています。ここでは、少額訴訟と比べて差が出る3点だけを書きます。
1. 申立てできる裁判所が違う
支払督促は、原則として入居者の普通裁判籍の所在地、つまり入居者の住所地を管轄する簡易裁判所の書記官に申し立てます(383条1項)。例外として2項に挙がっているのは、事務所や営業所の業務に関する請求と、手形・小切手の請求だけです。
一方、通常の訴えは、財産権上の訴えなら義務履行地の裁判所にも起こせます(5条1号)。そして民法484条1項は、弁済の場所について別段の意思表示がないときは、特定物の引渡し以外の弁済は「債権者の現在の住所」でするとしています。契約書に支払場所の定めがなければ、大家さんの住所地が義務履行地になる余地があるわけです。入居者が遠方へ引っ越したあとでも、少額訴訟なら大家さんの近くの簡易裁判所を使える可能性があり、支払督促はそうならない。どちらの裁判所に出せるかは、契約書の支払条項と裁判所の窓口で確かめてください。
2. 手数料の「半額」には続きがある
「支払督促は手数料が半額」とよく言われますが、条文では少し違います。民事訴訟費用等に関する法律の別表第二(e-Gov・2026年10月18日時点)は、訴えの手数料を「請求額に応じた額」と「定額部分」の合計とし、支払督促はその請求額に応じた額の2分の1に定額部分を足す形になっています。60万円の請求なら、請求額に応じた額は訴えで6,000円、支払督促で3,000円です。
- 訴え(少額訴訟):6,000円+2,500円(書面)=8,500円。電子で申し立てる場合の定額部分は1,400円で、合計7,400円
- 支払督促:3,000円+2,700円(書面)=5,700円。電子の場合の定額部分は2,500円で、合計5,500円
差は書面で2,800円、電子で1,900円です。さらに、訴えの定額部分には「被告が2人以上のときは、被告の数から1を引いた数に2,000円を掛けた額を加える」という但し書きがあります。連帯保証人も一緒に訴えると、その分が上乗せされます。支払督促の定額部分には、同じ形の加算は書かれていません。郵便切手などの予納が別に必要になることもあるので、申し立てる前に簡易裁判所で最新の額を確かめてください。
3. 取ったあとの強制執行は、ほぼ同じ形で進む
強制執行の元になる債務名義には、確定判決(民事執行法22条1号)も、仮執行の宣言を付した判決(同条2号)も、仮執行の宣言を付した支払督促(同条4号)も入っています。しかも民事執行法25条ただし書は、少額訴訟の確定判決、仮執行の宣言を付した少額訴訟の判決、仮執行の宣言を付した支払督促については、執行文なしで強制執行ができるとしています。どちらを選んでも、取ったあとの入口は同じです。

結局、どちらを選べばよいですか?
- 入居者が金額を認めていて、60万円以下:少額訴訟。最初の期日で判決まで進む可能性があります
- 入居者が争う姿勢で、60万円以下:どちらも通常の裁判に移る可能性があります。移った後は、手続きの軽さが売りではなくなります
- 60万円を超える:少額訴訟は使えません。支払督促か、通常の訴えです
- 入居者が遠方にいる:支払督促の申立先は入居者の住所地です。少額訴訟(訴え)なら、契約書の支払場所次第で選択肢が増えます
- 入居者の居場所が分からない:支払督促は、公示送達によらないで送達できる場合に限られます(382条ただし書)
都合の悪いことも書いておきます
少額訴訟も支払督促も、請求できるのは金銭だけです。部屋の明渡しは、どちらの手続きにも入りません。また、判決や督促が確定しても、入居者に差し押さえられる財産や給料がなければ、お金は戻ってきません。60万円という線は、裁判の費用や手間と回収の見込みを並べて見るための目安にすぎず、「少額訴訟なら必ず取れる」という意味ではありません。具体的な手続きは、簡易裁判所の窓口か、弁護士・司法書士に確かめてください。
今日やることを1つだけ選ぶなら
滞納家賃の合計と、契約書の「支払方法」「支払場所」の条項を横に並べてください。合計が60万円以下か、支払場所の定めがあるかが分かれば、上の分け方のどこに当たるかが決まります。滞納が始まって間もない段階なら、家賃を滞納された。最初の3日でやることの順番から始めてください。
出典
- 民事訴訟法368条から381条、382条から396条、5条、4条(e-Gov法令検索・2026年10月18日時点)
- 民法484条1項、民事執行法22条・25条(同上)
- 民事訴訟費用等に関する法律 別表第二(同上)
- 裁判所「少額訴訟」(利用回数の制限・異議の期間)
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